関西広域連合や、京都府などは原発から30km圏内を対象とした原発災害の避難計画を作ろうとしています。
亀岡は30km圏外やし避難計画は必要ないのん?
亀岡は大飯・高浜原発の風下60kmほどですが、原発事故のシミュレーションでは、事故後 7 日間、外部被曝だけで100mSv以上の恐れがあるとされています。
関西各地の避難計画について検証されている児玉正人さんに、お話を伺い、私たちに何ができるかを考えます。
講師紹介
児玉正人さん
日時 | 2014年3月15日(土)10時00分~12時00分 |
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場所 | ガレリアかめおか 2F研修室 |
定員 | (記載なし) |
参加費 | カンパ制 |
ご報告
「原発再稼働と避難計画」児玉正人さん講演会
日時:2014年3月15日(土)10時00分~12時00分
場所:ガレリアかめおか 2F研修室
定員:(記載なし)
参加費:カンパ制
参加者のご感想
「原発再稼働と避難計画」児玉正人さん講演会
日時:2014年3月15日(土)10時00分~12時00分
場所:ガレリアかめおか 2F研修室
定員:(記載なし)
参加費:カンパ制
3月15日の勉強会の報告です。
告知の時間が短かったにも関わらず、関心の高いみなさんが集まってくださいました。
篠山では、市民が座長となり、独自の避難計画を作成されているという事例。亀岡市でも同じようにできたらなぁ、と思いました。
また、千葉から亀岡市に避難されてきた方が、『避難計画』という言葉は、一時的に避難するという風に聞こえるが、現実的には二度と戻れないということ、であるとおっしゃられていたのが印象的でした。(F)
◎「福島原発の汚染水とその漏洩」について
詳しくご説明いただき、内容は、難しく専門的な用語も多く難しく感じましたが、現状では、抜本的な解決方法がなく、深刻な状態であるという事実を改めて痛感しました。
また、そのようなことに、気づかずに、日々の日常の中で、同じ日本に住む福島という地域のことを忘れかけている自分がいることも同時に気づかせていただきました。そして、本当に「自分たちが、今、亀岡の未来のために、何ができるか」ということを主体的に行動し、考えていかなければならないと感じま した。
◎避難計画について
現在、関西広域連合の考えている計画などを大まかにご説明いただきましたが、福井・滋賀・京都の3県の中で、もっとも人口が多い京都が兵庫や徳島に避難先を予定しているそうですが、それでは、大雑把すぎますし、もっと本当に災害が起きたときのことを想定して、詳細な計画を組む必要があると感じました。
篠山市が、独自の避難計画を官民協同で策定しているという先行事例を伺い、ぜひ、亀岡でも、上位計画を待たずに、自ら考え、自ら行動し、行政の方と一緒に、どのような準備・計画が必要なのか、検討していけたら 、と思いました。
後半、ディスカッションはまだまだ話し足りないぐらいでした。ご参加のみなさん、ありがとうございました!
参加者のご感想2
「原発再稼働と避難計画」児玉正人さん講演会
日時:2014年3月15日(土)10時00分~12時00分
場所:ガレリアかめおか 2F研修室
定員:(記載なし)
参加費:カンパ制
放射能ホットスポットから亀岡の里山に移住した建築家の方が、3月15日の児玉さんのお話「原発再稼働と避難計画」に参加した感想を書いて下さいました。「原発を再稼働させるために、住民の避難計画を策定する。」ということが、とてもおかしな話に思えた・・・それはなぜか。ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。
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「原発再稼働と避難計画」というテーマのお話でした。実はお話を聞く前は、「原発事故」と「避難計画」という言葉の組合せにとても違和感を感じていました。
「避難」という言葉は一般に、台風などの自然現象による危険から一時的に安全な場所に身を寄せることや、火災が起きたときに建物から外へ逃げることをイメージします。しかし、原発事故が起きたら、周辺の人々はもう二度と元の生活圏には戻れなくなるということを、僕たちは福島原発の事故で学びました。
事故から3年の歳月が経っても、いまだに何十万人の人が故郷を追われて、本当はもう帰ることが出来ないほどの放射能汚染レベルなのに、「除染すれば帰還できる」と信じ込まされて、とても酷い「避難」生活を強いられていたりします。本当は、何十万人よりも、もっともっと多くの人々に、「帰還はもう無理だから、遠く離れた新しい生活の場所へ移住して下さい」と、加害者である国と電力会社が、頭を地面にくっつけてお願いしなければならない事態なのです。
だから、「原発を再稼働させるために、住民の避難計画を策定する。」ということが、とてもおかしな話に思えたのです。
児玉さんは、この丹波の地で、2004年から不耕起自然農法による人と自然の共生をめざしてこられた方です。農業は土地そのものが命です。何があってもどこへも逃げられません。お話を聞いて、きっと僕たちよりもはるかに強く原発事故への恐怖を感じて、必死の想いで反原発活動を続けてこられたのだなと感じました。
お話の筋には、国が決めた避難計画策定の義務に自治体が忠実に従えば従うほど、矛盾や非現実的な事実が明らかになっていくので、結局「避難計画などつくれません」とギブアップすることによって、原発再稼働が阻止できるのではないかという、逆説的な意味が込められていました。
本当は自治体に避難計画など作らせる前に、「原発には実は避難計画が必要だった。ごめんなさい。」と国や政治家は国民に謝罪するのが先ではないでしょうか。そして、「避難訓練やってまでも原子力で電気を作りますか?」「事故が起きたらそこには住めなくなるかもしれないけれど、それでもここにつくってしまった原発を、今後も使って良いですか?」「原発から出た超危険なゴミは、実は処分の方法がありませんが、それを今後10万年以上、安全に保管していく責任を皆さんの子孫に託して良いですか?」と問いかけて、「それでもいいよ」と国民が言わなければ、今すぐ原発の廃炉を決める必要があるはずです。避難計画を作れと言われた自治体の首長は、本来ならそのように切り返さなければならなかったはずなのに、おかしいと思いませんか。
4月4日、政府のエネルギー基本計画原案が自民党に了承されました。「原子力に依存しない社会を目指す」としていた党の公約とは大きくかけ離れ、原発を、費用が安く安定的な「重要なベースロード電源」と位置づけ、核燃料サイクルの「推進」を明記。一方、日本に豊富に存在し、国産エネルギーでもある太陽光や風力といった再生可能エネルギーは、需要の大きな時間帯の調整電源と位置づけ、導入目標も示していません。実用化のめどが全く立っていない高速増殖炉もんじゅについても、放射性廃棄物の容積を減らすことの技術などの「国際的な研究拠点」とし、存続することにしました。
残念なことに、どんなに正論を打ち立てたところで、この恥を知らないおかしな政治家たちを一掃しない限り、心安まる日が来ることはないのでしょう。
(放射能ホットスポットから亀岡の里山に移住した建築家)