放射能ホットスポットから亀岡の里山に移住した建築家の方が、3月15日の児玉さんのお話「原発再稼働と避難計画」に参加した感想を書いて下さいました。
「原発を再稼働させるために、住民の避難計画を策定する。」ということが、とてもおかしな話に思えた・・・それはなぜか。
ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。
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「原発再稼働と避難計画」というテーマのお話でした。実はお話を聞く前は、「原発事故」と「避難計画」という言葉の組合せにとても違和感を感じていました。
「避難」という言葉は一般に、台風などの自然現象による危険から一時的に安全な場所に身を寄せることや、火災が起きたときに建物から外へ逃げることをイメージします。しかし、原発事故が起きたら、周辺の人々はもう二度と元の生活圏には戻れなくなるということを、僕たちは福島原発の事故で学びました。
事故から3年の歳月が経っても、いまだに何十万人の人が故郷を追われて、本当はもう帰ることが出来ないほどの放射能汚染レベルなのに、「除染すれば帰還できる」と信じ込まされて、とても酷い「避難」生活を強いられていたりします。本当は、何十万人よりも、もっともっと多くの人々に、「帰還はもう無理だから、遠く離れた新しい生活の場所へ移住して下さい」と、加害者である国と電力会社が、頭を地面にくっつけてお願いしなければならない事態なのです。
だから、「原発を再稼働させるために、住民の避難計画を策定する。」ということが、とてもおかしな話に思えたのです。
児玉さんは、この丹波の地で、2004年から不耕起自然農法に
お話の筋には、国が決めた避難計画策定の義務に自治体が忠実に従えば従うほど、矛盾や非現実的な事実が明らかになっていくので、結局「避難計画などつくれません」とギブアップすることによって、原発再稼働が阻止できるのではないかという、逆説的な意味が込められていました。
本当は自治体に避難計画など作らせる前に、「原発には実は避難計画が必要だった。ごめんなさい。」と国や政治家は国民に謝罪するのが先ではないでしょうか。そして、「避難訓練やってまでも原子力で電気を作りますか?」「事故が起きたらそこには住めなくなるかもしれないけれど、それでもここにつくってしまった原発を、今後も使って良いですか?」「原発から出た超危険なゴミは、実は処分の方法がありませんが、それを今後10万年以上、安全に保管していく責任を皆さんの子孫に託して良いですか?」と問いかけて、「それでもいいよ」と国民が言わなければ、今すぐ原発の廃炉を決める必要があるはずです。避難計画を作れと言われた自治体の首長は、本来ならそのように切り返さなければならなかったはずなのに、おかしいと思いませんか。
4月4日、政府のエネルギー基本計画原案が自民党に了承されました。「原子力に依存しない社会を目指す」としていた党の公約とは大きくかけ離れ、原発を、費用が安く安定的な「重要なベースロード電源」と位置づけ、核燃料サイクルの「推進」を明記。一方、日本に豊富に存在し、国産エネルギーでもある太陽光や風力といった再生可能エネルギーは、需要の大きな時間帯の調整電源と位置づけ、導入目標も示していません。実用化のめどが全く立っていない高速増殖炉もんじゅについても、放射性廃棄物の容積を減らすことの技術などの「国際的な研究拠点」とし、存続することにしました。
残念なことに、どんなに正論を打ち立てたところで、この恥を知らないおかしな政治家たちを一掃しない限り、心安まる日が来ることはないのでしょう。
(放射能ホットスポットから亀岡の里山に移住した建築家)