元国土交通省河川局防災課長の宮本博司さんを京都市下京区に訪ね、亀岡駅北のスタジアム計画についてお話を伺った。
 宮本さんはとても気さくな方で、率直なわかりやすい言葉で語られ、筆者の話にもじっと耳を傾けてくださる様子がとても印象的だった。

未来に何を残すのか

 亀岡は長年、保津峡の開削を要望し続けてきましたが、国交省は計画を凍結しています。当面広げないと言っているということは、私たちの存命中には実現しないということを意味しています。いつまでも、その夢(=開削と河川周辺の開発)を追っていてもダメだ、水がたまるあの場所を活かした地域づくりをしたほうがいい、と、私も(淀川河川事務所長)在任中、歴代市長に言い続けてきました。
 自然というのは常に人間の予想を超えてくるものです。この自然の中で、私たちがいかに生かされているかを考え、それに沿った地域づくりをすべきです。自然の姿を変えるとしっぺ返しがあります。なぜ氾濫するところにまちをつくるのでしょうか?自然を破壊して、そこに災害が起きた場合、それは人災ではないでしょうか。

自然に逆らうだけの理由とは

 どうしても自然に逆らうのであれば、よほどの理由が必要ですし、不自然なことをやっているのだという自覚をもってやるのでなければいけません。高度経済成長の時代であれば、人口が増え続け、住宅地が必要という事情もあったと思います。しかし、今の時代、人口は減っているし、自然は一度壊せば簡単に元には戻らないということを数多く経験してきています。
 川は一部で区切って考えるものでなく、農地から湿地帯、川へとつながる連続性をもった存在。だからこそアユモドキが田で産卵することができるのです。あの場所にスタジアムを建設することに、「よほどの理由」というものがあるのでしょうか。
 普通に考えればわかることですが、それが通用しないのは、不自然なことをするほど儲かるからです。つまり利権。近代以降、そういう仕組みがずっと続いてきました。 そしてその価値観を変えられない人間もまだまだたくさんいます。原発事故が起こってもそこから全く学ばない人が多くいるように。
 本当は、踏みとどまって考えるべき場面であっても、「今だけ 金だけ 自分だけ」という考え方ばかり。それも大事なことですが、子ども・孫の世代のために何が出来るのかを考えていかなければ負の遺産を残すことになってしまいます。今回亀岡で起きていることは、非常にシンボリックです。

「今だけ 金だけ 自分だけ」の価値観に立ち向かうために

 他の地域では、自然に逆らって大きなしっぺ返しにあってきたというこれまでの失敗を非常にストレスに感じていて、自然との共生へと舵を切ろうとしています。自然を破壊して、人間らしい生活も捨て、それでも経済最優先という(亀岡の)発想は前時代的です。滋賀県で浸水危険区域での建築規制などを盛り込んだ流域治水推進条例を策定したのとは真逆の考え方です。
 どうしたら、市民に盛り上がりができるのか?それは、理屈ではなしに、まず心に訴えかけていくしかありません。
そして、多くの市民が、あの場所を亀岡市にとって非常に大事な場所だという認識をもたなくてはなりません。
 「今だけ 金だけ 自分だけ」の前時代的な価値観の人々に怒っていても仕方がない。
 そういう人たちもあと10年か20年くらいしたら、ハコモノ行政が古くて、その土地固有の特徴を生かしたまちづくりが大事だと気づくだろうけど、それでは時間がかかりすぎます。だから今は、新しい価値観を共有できそうな人たちに働きかけて変えていくしかないのです。
 そうして機運が盛り上がる中で、理屈が活きてきます。計画のもろさに目を向ける人が増え、これはおかしいではないか、ということになるでしょう。
 政治家は次の選挙を意識するから、半分くらいの市民がおかしい!と言い出し、マスコミが問いかければ、行政はこのまま進めてはマズいと考えるようになります。
 結果的にスタジアムが建設される、されないに関わらず、おかしいと思うことに対して市民が行動したということは非常に意味があります。
 いつか子ども達に問われたときに、自信を持って答えられるためにも。

宮本博司氏

1952年京都生まれ。京都大学大学院修士課程土木工学専攻修了。1978年に旧建設省に入り、技官として河川行政一筋に取り組む。河川開発課課長補佐などを経、苫田ダム、長良川河口堰を担当。その後、国交省近畿地方整備局淀川河川事務所長として淀川水系流域委員会の立ち上げに尽力。本省河川局防災課長を最後に2008年辞職。現在は(株)樽徳商店会長兼社長。